談話会要旨-第854回(「さらば『民俗学』―新しい《民俗学》の再構築に向けて(9))
日本民俗学会における国際交流事業の成果と課題
岩本通弥
第27期理事会(以下、今期理事会)では、第26期理事会における国際交流特別委員会の答申「日本民俗学会の国際交流のあり方について」(『日本民俗学』252号掲載)を実現すべく、836回談話会から852回談話会までのうち、7回にわたって、各国の民俗学の現状理解を図った談話会を開催するともに、各国の学会等と交流を試みる上での課題などを検討してきた。その過程で明らかになった問題点や、今後も国際交流事業を進めていく上での留意点などについて、実際の実務に携わった担当理事の一人として報告する。
まず、国際交流事業の経緯を、特に外国人研究者招聘に至ったプロセスを中心に概観しておくと、特別委員会答申を受けたといっても、2007年11月に今期理事会が発足した時点で、国際交流担当は渡邊理事の一人のみだった。ちょうど1年を経過した2008年11月の理事会で、1名の担当では事業を進められるはずもなく、研究会担当から西海理事、庶務担当から鈴木理事、編集担当からは岩本が国際交流も兼任することとなる。編集担当の岩本は、『日本民俗学』の特集「海外の現代民俗学」の259・263号を編集したが、当初これは国際交流担当の事業とは別箇のものであって(のちに両者は連動)、ここでは触れない。
兼任理事を交えた国際交流委員会は、事務補佐として門田岳久氏を加え、2009年1月12日に開催し、レーマン教授らの招聘原案をまとめ、1月理事会で一応の承認を得る。レーマン氏側の内諾も得て、3月理事会で招聘が正式に決定される。内容を検討した5月7月の理事会を経て、外部資金の獲得も視野に入れつつ、9月理事会で179万見積もりを計上する。ただし、全額は認められず150万までを学会負担として担保する了解をとった上で、外部資金獲得や他機関・他学会との協力要請を本格化させた。また外部資金が獲得できなかった場合は、レーマン教授の公開講演とヘッセ博士の談話会発表のみで、短期に事業を終わらせる予定であった。結果的に日本学術振興会の外国人研究者招へい事業(短期)に採択されたほか、澁澤民族学振興基金と福武学術文化振興財団の助成を獲得したが、外部資金や他機関との協業には当然メリットがあるものの、必ずしもメリットばかりではない。
第1に、これによって事業規模を拡大せざるを得なくなったことである。当初、理事会で検討していた招聘期間は、関西での講演会も含め、5日から7日程度の日程案と、12日間の2案であった。最終的には20日間の滞在となって、見積もりの増額案を示したが、理事会の了解は得られなかった。また澁澤や福武の助成は、あくまでシンポジウム開催のためのものであり、滞在の他経費には充当できない。不足分を補うつもりの助成申請であったが、シンポジウム自体の規模も拡大するに至ったのは、以上の事由による。
第2のデメリットとして、他機関・他学会との協業は、特に他学会との連携はレーマン教授側の発表回数を増やし、旅程をハードにする怖れが出てくることから、折角の、その好意が翻らぬよう慎重に進めた。日本口承文芸学会をはじめ、オーラルヒストリー学会や、ドイツ史関係の学会との共催以上の連携も考えたが、協業したのは大学や共同研究利用機関に限定した。実務上、この調整が書類も多く煩雑で最も手間のかかる点だった。
以上の実務的な留意点はあるものの、しかし、最も慎重に対応せざるを得なかったのは、学会内部の調整であった。今期理事会でもまた談話会においても、今回の国際交流事業に関して、しばしば聞かれた批判は、地方や行政の現場には無関係な議論だとする声や、「野の学問」であった初志を忘れ、アカデミズム化に邁進する愚行だといった拒絶的反応であった。たしかに日本の民俗学は、「経世済民」を謳い、野の学問としての役割や性格を強調してきたが、本誌の前身雑誌『民間伝承』は、地方同人の「生活疑問」を登録し、互いの問題提起をする場として機能する一方、B5判8頁のボリュームであるにも拘らず、諸外国の動向も毎号コンパクトながら紹介していたように、国際交流と在野性とは、本来、何ら対立するものではない。しかし、かつて本学会の国際化を進展させようとして「排斥」された関敬吾が、晩年、「仮りにわずかばかりの知識にもとづいて、参考のために西欧の民俗学研究を述べても、ほとんど欧米の民俗学研究に関心のない、というよりも却ってこれを拒否しようとする日本の民俗学者の反感を買うだけ」〔「『日本民俗学入門』の思い出」『民間伝承』47巻3号、1983年〕だと述べたように、それは現在も通じている。今後も本学会において国際交流を阻む一番の壁・問題は、この情緒的反感をいかに取り除いていけるかに懸かっている。会員の理解を深めていくような地道な活動を、継続していくほかはない。
日本民俗学会における国際交流の成果と課題―とくに課題に関して―
渡邊欣雄
第26期理事会による国際交流のあり方についての答申から、本学会の国際交流事業が開始された。この答申を受けて、初めて27期理事会に国際交流担当理事1名が設けられたが、しかし27期理事会は当初は担当理事を1名設けたにすぎず、1名の理事では実際の国際交流はおろかどのような国際情報も得るには困難だった。
また答申には「さらにその理事の下に、実務を担う組織作りが必要である」と書かれていたが、27期理事会は当初これをまったく無視し続けた。ようやく任期の半分が過ぎたころ、庶務・編集・研究会担当の理事が兼務するかたちで、理事4名による国際交流委員会が発足した。また国際交流を推進するための「特別委員会」は設置できたが、答申に書かれていたような国際交流を長期にわたって推進しうる、「常任委員会」としての国際交流委員会はついに設置されなかった。
そのようなきわめて悪い条件下にもかかわらず、国際交流委員会は本学会談話会を通じて、また国際シンポジウムを通じて、海外の民俗学研究の現状を会員に積極的に紹介することができた。その「成果」については岩本氏が報告するので、ここでは省略する。以下は、今後の課題であり問題点である。
(1) 日本には複数の民俗学会があることは、本学会会員の多くが複数の民俗学会に入会していることで周知の事実である。そのうち国際交流・活動を目的とした学会には「国際アジア民俗学会」があって、すでに民俗学として国際交流を何年かにわたり経験している。双方の学会間の情報交換や連携は可能だが、なおまだこの学会との交流や情報交換さえ、理事会ほかで議論していないのが現状である。「民俗学」は国際交流する必要のない学問だ、と思い込んでいる会員もまた少なくない。
(2) 漢字の「民俗学」を冠した学会(ないしは冠しうる学会)は日本・中国・韓国に限られるが、英語の「folklore studies」に相当する研究団体があるのは、上記のほか、アメリカ、ドイツ、ベトナム(民間文芸協会)などがある。したがって「民俗学」が=「folklore studies」だとして国際交流ができるのは、東アジア3国とドイツ、アメリカに限られる傾向にある。ただし韓国のように国を代表すべき学会が限定できないこと、組織として交流すると政治的になりやすいことることなどの問題点があり、今後のいっそうの情報収集が必要になるだろう。
(3) 「folklore studies」が消滅したか非公認団体、ないし公称として併存するか、別名の学問として存在しているのはフランス、スペイン、ドイツ、カンボジア、モンゴル、タイなどである。ただしアメリカなどでは大学の学問としては認識されない傾向にあり、スペインでは民間の学問でさえある。「folklore」は侮蔑語に等しい国もある。たとえ国際交流を行ったとしても、全世界の国々を相手にした国際交流にはならないことは、あらかじめ認識しておくべきである。
(4) 相手国には日本でいう「民族学」「人類学」「文化学」「地域学」「社会科学」を自称する学術団体があるとしても、ドイツ、フランス、スペイン、ベトナム、カンボジア、タイなど各国は「国内研究」(EU圏内)と「海外研究」とを分けていて、日本民俗学は、それらの「国内研究」に相当する内容であることでほぼ共通している。このように海外と比較することによって、あらためて「日本民俗学」とは何か、つまりは「日本研究」なのか「地域を越えた文明研究」なのか、などの議論が必要になってくるだろう。
(5) しかしたとえば「民俗学」とは「国内研究の学」だとしても、海外では民間芸術、物質伝承、民俗博物館、伝統など、日本民俗学における従来研究に通じる研究内容を持っていると同時に、大都市、自治体、産業、移民、故郷、労働、メディア、文化財などの現代研究をも課題としていること、その点は日本以外のアジア地域、欧米地域の民俗学を問わない。このような研究は現在の日本民俗学にはきわめて少ない。海外の研究内容と一致しなければ「国際交流」の意義も薄れる可能性がある。言い換えるなら、海外の民俗学と共同に議論できる日本民俗学の研究とは何か、あらためて考える必要があるということである。
(6) 日本民俗学もまた、多くの人文社会科学諸学と同様に、欧米民俗学の理論を輸入して初めて成立し、その後こんにちまで独自の理論・方法論をはぐくんできた歴史がある。そのような研究史は、われわれがこの学問をして「民俗学」と称する限り、忘れるべきではない基本的な学説史に属している。加えて国際交流を考えるとき、こんにちなお民俗学もまた「欧米を中心とした世界システム」の傘下に属しているということ。学問の世界システムを知らないでいては、国際交流はもとより海外との研究内容・学会行政・会員間の相互交流はありえないだろうということである。