談話会記録-2016年 第885回〜第890回

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第885回談話会(2016年3月13日)

2015年度民俗学関係卒業論文発表会

日時:2016年3月13日(日) 13:30〜17:00
会場:神奈川大学横浜キャンパス 3号館205・206・207教室
(東急東横線「白楽」駅下車、徒歩15分)
プログラム(各発表20分・質疑応答5分):
A会場=205教室
13:30〜13:55 林花音(成城大学)「天狗の属性と信仰の多様性 ―高尾山薬王院を事例として―」
14:00〜14:25 倉林真帆(二松学舎大学)「庚申信仰の伝播 ―千葉県松戸市の庚申塔調査から―」
14:30〜14:55 肥田遥(二松学舎大学)「『屋号』の伝承と地域社会 ―茨城県常陸太田市上深荻町の事例から―」
15:05〜15:30 石川歩実(筑波大学)「沖縄県における獅子加那志の保存・継承について ―八重瀬町東風平・玻名城を事例として―」
15:35〜16:00 石田有依(東北大学)「津軽の寺院併設型地蔵堂にみる信仰の構造」
16:05〜16:30 真柄侑(東北学院大学)「前栽畑からみる暮らしと社会 ―宮城県大崎市三本木町新沼を事例に―」
16:35〜17:00 神部結衣(新潟大学)「住居空間と生活様式の変化」
B会場=206教室
13:30〜13:55 大西奈緒(慶應義塾大学)「乙女ゲームへの道―オトメをめぐる言説・表象・実践」
14:00〜14:25 三井裕美子(慶應義塾大学)「セントパトリックスデーに見る外来祝祭の受容について」
14:30〜14:55 平木美南実(東北学院大学)「故郷を買い取る民俗学 ―摺上川ダム建設に伴う水没者と水資源課の苦悩―」
15:05〜15:30 吉野有紀(関西学院大学)「武雄古唐津における伝統と創造 ―佐賀県武雄市の陶工たち―」
15:35〜16:00 川合真由美(関西学院大学)「『無形文化財』の創出と伝承 ―筑前博多独楽の事例から―」
16:05〜16:30 小坂史子(東北大学)「お坊さんQ&Aサイトhasunoha ―新しいコミュニケーションプラットフォームの展開―」
C会場=207教室
13:30〜13:55 杉山奈緒(筑波大学)「祭礼と祭囃子の実践に関する民俗学的研究 ―茨城県土浦市土浦八坂祭礼を事例に―」
14:00〜14:25 青木舞花(國學院大學)「諏訪大社お舟祭の研究」
14:30〜14:55 今井恵理(成城大学)「盆踊りが形成する〈まち〉 ―世田谷区喜多見の事例を通して―」
15:05〜15:30 面坪紀久(尾道市立大学)「島根県飯石郡飯南町赤名地域の丹塗矢伝説」
15:35〜16:00 辻彩花(國學院大學)「一言主説話の研究 ―架橋伝説を中心に―」
16:05〜16:30 岩佐敦彦(大阪大学)「福井県美浜町のケガレ民俗の現状をめぐる考察 ―漁村と農山村の厠神と産育習俗を中心として―」

第886回談話会(2016年5月8日)

2015年度民俗学関係修士論文発表会

日時:2016年5月8日(日) 13:00〜17:30
会場:神奈川大学横浜キャンパス 3号館205教室
(東急東横線「白楽」駅下車、徒歩15分)
プログラム(各発表30分・質疑応答10分):
13:00-13:40 「火葬の技術と担い手をめぐる民俗研究」
川嶋麗華(國學院大學大学院文学研究科)
13:45-14:25 「定期市における出店者組合の機能に関する民俗学的研究 ―新潟市北区の六斎市を事例に―」
藤野哲寛(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
14:30-15:10 「旧宿場町に生きる ―街道「木曽路」の地域資源化と集団意識に関する考察―」
荒井浩幸(成城大学大学院文学研究科)
15:20-16:00 「現代日本における水子供養の定着と変容」
陳宣聿(東北大学大学院文学研究科)
16:05-16:45 「わたしの絵、みんなの絵 ―中国・金山農民画の創造過程における多様なアクターの葛藤と協働―」
雷婷(東京大学大学院総合文化研究科)
16:50-17:30 「歴史民俗資料として見る『風俗画報』の再検討 ―特集号『新撰東京歳時記』を中心に―」
石井和帆(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科)

第887回談話会(2016年7月23-24日)

国際シンポジウム「民俗から考える東アジア世界の現在 ―資源化、災害、人の移動―」

開催日程:2016年7月23日(土)〜24日(日)
開催会場:福岡大学中央図書館1階多目的ホール
(福岡市城南区七隈8-19-1、福岡市地下鉄七隈線「福大前」駅下車、徒歩5分)
開催にあたって:
急速な経済発展を遂げた中国は、現在、国際社会にも大きな影響を与えるようになっている。しかしながら、経済や政治分野での注目に比して、地域レベルの文化やひとびとの生活には、充分、目が向けられていない。本シンポジウムでは、日本・中国大陸・台湾の研究者が「民俗文化の資源化」「人の移動」「災害」を切り口として、中国における生活・精神文化の現在を考えるとともに、東アジア世界のなかでのその影響や意義についても検討する。
プログラム:
7月23日(土) 10:30〜12:00、13:00〜17:30
[司会・趣旨説明]松尾恒一(国立歴史民俗博物館教授)
■基調講演(1)
「年中行事から見た中日文化の融合と変容」
劉暁峰(清華大学教授、中国民俗学会副会長)
■研究発表と討議
「観光文脈における民俗宗教 ―ナシ族トンパ文化を例にして―」
宗暁蓮(福岡女子大学非常勤講師)
「中国における民族文化の観光活用が抱えるディレンマ」
徐贛麗(華東師範大学准教授)
「中国人新移民と宗教」
張玉玲(山口県立大学准教授)
「つながりを創る沖縄の系譜」
小熊誠(神奈川大学教授)
「東シナ海島嶼の観音信仰の系譜」
田兆元(華東師範大学教授)
コメント:王霄冰(中山大学教授)、田村和彦(福岡大学教授)
■懇親会(18:00〜20:00/福岡大学文系センター棟16階スカイラウンジ)
7月24日(日) 10:30〜12:00、13:00〜17:00
[司会]白川琢磨(福岡大学教授)
■基調講演(2)
「生活革命、ノスタルジアと民俗学」
周星(愛知大学教授)
■研究発表と討議
趣旨説明「科学技術世界のなかの生活文化 ―日中民俗学の狭間で考える―」
田村和彦(福岡大学教授)
「国家政策と民族文化 ―トン族の公共建築物の事例から―」
兼重努(滋賀医科大学教授)
「台湾における民俗文化の文化財化をめぐる動向」
林承緯(国立台北藝術大学副教授)
「記憶の場としての族譜と民俗学における価値」
王霄冰(中山大学教授)
「災害と復旧、復興をめぐる国家と地域」
王暁葵(華東師範大学教授)
コメント:宮岡真央子(福岡大学准教授)、島村恭則(関西学院大学教授)
■二日間の総括
小熊誠(日本民俗学会長)、田兆元・王暁葵(いずれも華東師範大学民俗学研究所)
主催:日本民俗学会、福岡大学福岡・東アジア・地域共生研究所、中国民俗学会、華東師範大学民俗学研究所
後援:九州人類学研究会、西日本宗教学会

第888回談話会(2016年9月11日)

仏教民俗のゆくえ ―現代葬儀の問題点と課題―

日時:2016年9月11日(日) 13:30〜17:00
会場:成城大学3号館2階322教室(※通常の会場とは異なります)
(小田急線「成城学園前」駅より徒歩3分/キャンパスマップはこちら
パネリスト:
蒲池勢至(同朋大学仏教文化研究所)
「真宗民俗から現代葬儀を問う」
板橋春夫(新潟県立博物館)
「葬送儀礼研究の新しい視角 ―儀礼・地域社会・先祖観の変容に対処して―」
鈴木岩弓(東北大学)
「イエ亡き時代の葬送墓制」
コーディネーター:蒲池勢至・本林靖久(大谷大学)・野地恒有(愛知教育大学)
司会:本林靖久・野地恒有
開催趣旨:
葬儀と墓は、現代社会において大きな問題であり課題になっている。しかし、近年の民俗学研究では低調になってきているのではないだろうか。多くの儀礼は消滅し、葬儀も墓も商品化され、その伝承的意味や宗教的意味も喪失した。こうした現代葬儀に対して、民俗学はどうとらえようとしているのか、「変容」の先に何を課題としているのか、そして「仏教民俗」のゆくえは――といったことを議論したい。

第889回談話会(2016年11月13日)

生業研究の課題と展望

日時:2016年11月13日(日) 13:30〜17:00
会場:成城大学3号館321教室
(小田急線「成城学園前」駅より徒歩3分/キャンパスマップはこちら
発表者とタイトル:
島立理子(千葉県立中央博物館)
「博物館の活動『おばあちゃんの畑』を通して地域の生業をみる」
山本志乃(旅の文化研究所)
「『小商い』というなりわい ―市と行商のフィールドから―」
安室 知(神奈川大学)
「労働観の民俗 ―本業・副業・雑業をめぐって―」
コーディネーター+コメンテーター:小池淳一(国立歴史民俗博物館)
開催趣旨:
現代において人びとのなりわいを民俗学的にとらえるにはどのような視点と手法が考えられるだろうか。近年の生業研究においてユニークな試みを展開している方々から報告をいただき、従来の成果とそこから導き出される課題について模索してみたい。

第890回談話会(2016年12月11日)

ともに生きる ―現代社会における集団形成の論理と他者理解をめぐって―

日時:2016年12月11日(日) 13:30〜17:00
会場:成城大学3号館321教室
(小田急線「成城学園前」駅より徒歩3分/キャンパスマップはこちら
開催趣旨:
2015年10月11日に日本民俗学会が担当学会として開催した、第10回人類学関連学会協議会合同シンポジウム「群れる・集う ―人間社会の原点を問う―」で展開された議論を深めるために、民俗学と文化人類学との研究成果を題材にした検討を行う。世襲の家業が消失しつつある地域社会における集団形成の論理とその前提となる他者理解に関する視座について討議したい。
発表者とタイトル:
市川秀之(滋賀県立大学)
「ムラの結集と排除」
【発表要旨】
 民俗学の立場から「ともに生きる」ことを考えるとすれば、ムラやマチにおける共同性を問題化するのがまずは常套手段であろう。このような小社会のなかでの互助、互酬、共同、共有などの事例はこれまでの研究のなかで枚挙にいとまがないほど示されてきた。しかしながらそのような形での結集は同時にある種の排除を伴うことにも注意を払うべきであろう。本報告では、なるべく具体的、可視的な事例によりながら結集と排除という問題について考えていきたい。
 ムラという住まい方と社会的な繋がりの強さに何らかの関係があることはこれまでの研究でも指摘されてきた。さほど広くもない日本のなかにも様々なムラの形態があり、近畿地方の平野部などではぎっしりと人家が密集したムラの形が普通に見られるが、それでも山間部にいくと家がまばらに建つ景観をみることがある。本報告では最初に人が集住ことに随伴するケガレの問題、とりわけ墓地の問題に着目したい。近畿地方のムラでは、集落から少し離れた場所に墓地を作る。しかしながら、地方によっては、家の近くの畑の中や、すぐ横に埋葬地をもつ場所もある。そのほうがいつでも墓参りができて都合がよいのだという。そこに死に対するケガレ観念を感じることはできない。
 中世前期に屋敷地が散在していた段階では、屋敷地内に墓を設けることがよくあった。やがてこのような屋敷墓はなくなり中世末から近世初頭にはムラ単位での墓地が形成される。ただしこれは平野部でのことであって、山間部の散村などでは屋敷墓は今も存在する。このような墓地立地の推移は集村化の動きに随伴するものであろう。ムラの生成にともなって、死のケガレが強く意識され、死骸をムラの外部に埋葬することとなったと考えられる。集住することによる他者との距離感がこのような新たなケガレと排除を生み出したと考えられるだろう。
 次に考えたいのは漁村における女性の血のケガレの問題である。福井県小浜市犬熊という小漁村では、近世以来13軒の家が山と海に挟まれた狭い平面に密集して屋敷地を構えていた。水田は皆無であるが、かつてはムラタという共有田を14筆にわけ、各家が1筆ずつを耕していた。水田には条件の違いがあるので、耕作するムラタも毎年交代していたという。このようにムラの平等性を重視する反面、出産の時にはムラ外れにある産小屋(さんごや)で出産し、女子を出産したときには20日、男子の場合には18日をそこで過ごしたなど血のケガレに基づく女性の排除が強くみられた。より細かにかつての出産時の様子をお聞きしてみると、出生児の取り上げはムラの経験豊かな老婆が行っていたこと、また出産後も高齢の女性を中心に食事や着替えの世話などをおこなっていたことなどがわかる。つまり排除されることによって、女性同士の結集が強まるといった現象も観察できる。
 報告では死や血といったケガレを取り上げながら、村落社会における結集と排除の関係性について考えていきたい。
岡恵介(東北文化学園大学)
「危機とつきあいながら生きる ―台風10号で被災した北上山地山村の孤立集落―」
【発表要旨】
 この夏、台風10号の甚大な被害を受けた岩泉町は、高齢者グループホームの老人が多数溺死するという悲惨な出来事もあって、幾度もマスコミ報道に取り上げられた。さらに台風12号が接近した時、町内全域に避難指示が出された。しかし道路が寸断され、停電や電話の不通が続き、孤立集落と言われた地域で、ヘリコプターが来ても避難しなかった住民の行動を、さも悪いことのように扱う報道も多かった。
 しかし藩政期から凶作飢饉を経験してきた北上山地の山村は、危機に備えてストックする民俗文化を醸成してきた(岡、2016)。ストックの内容は、凍み大根、凍み豆腐、干し菜などの寒さを利用した保存加工食品や、山菜・キノコなど森林食用資源の塩蔵や乾燥保存、野菜の土中貯蔵、ストッカーを用いた冷凍保存など多岐にわたる。食品だけでなく、暖房や調理、風呂焚きに使う薪が多量にストックされ、水道の他に沢水を引いている家も多い。
 ストックのある暮らしは、今回の台風被害には通用するのか。9月1日から支援物資を積んでいつもの倍の時間をかけ、安家地区へ通いはじめた。最初に通った元村集落では、家や人、道路が流され、土砂崩れが道をふさぎ、見慣れた風景が一変していた。
 4日、我が家のある坂本集落に入る。坂本集落のある住民は、安否確認にヘリで訪れた自衛隊員全員に、ペットボトルのお茶を配ったという。台風見舞いに携えてきた水を差し出すと、私も缶ジュースや栄養ドリンクを振る舞われてしまう。
 橋を流された家に、誰かが対岸の川沿いの沢クルミの木を伐倒して橋を架けていた。
 決壊した道の脇に、土砂崩れで落ちてきた楢の巨木が道幅に伐られて置いてあった。住民らは協力して重機で丸太を沢に並べて土砂をかぶせ、勝手に道路を仮復旧してしまった。
 その後も坂本に行く度に、枝豆や松茸、香茸、舞茸をもらった。支援に通っているつもりの私は、とんだ「わらしべ長者」だった。
 そこには、道路やライフラインが途絶したことが、住民の不安を呼び、混乱を引き起こす都会の暮らしとは異なる暮らしがある。積雪や倒木、強風などによる断線で停電が時々あり、電気だけに頼っては暮らせなかった。台風の直撃で道路が破壊され、長期間交通が遮断されたこともあった。しかし、今より行政の支援が手厚くなかった時代からそこに住み続けてきた山村の人々は、いつも自助・共助によって地域の復興を果たしてきた。
 今回、自力で道路を復旧した60代の住民が、10年後同じことができるかという懸念は大いにある。坂本集落は住居への被害も人的被害もなく、安家地区で台風被害が軽微な集落のひとつだった。それでも8月30日から9月4日まで孤立していた集落から誰一人として避難せず、そして自力で孤立を解消したことも事実である。
 無論、災害弱者や高齢者への支援は必要だが、だからといって避難指示を守って住民がすべてそこから立ち去ってしまえば、これまで自助・共助で危機を乗り切ってきた山村の営みは断ち切られてしまう。「ともに生きる」営みを支える視点からも、災害時における孤立集落の対策が考慮される必要があるのではないだろうか。
杉山祐子(弘前大学)
「群れからムラへ ―焼畑農耕民ベンバの村の分裂・再生サイクルと祖霊信仰という位相―」
【発表要旨】
 本報告では、生活の基盤に移動性を備えながら「われら」意識を作り出してきた焼畑農耕民ベンバの事例をとりあげ、「ともに生きる」ことについて考えることにしたい。ベンバの集団現象で特徴的なのは、居住集団としての村は10世帯からせいぜい70世帯と小規模なのに、異なる民族集団も組み込みながら、全体としては「われらベンバ」という意識を共有する人々が数十万〜百万人規模の王国(首長国)を形成してきたこと、それぞれの村は分裂と再生をくりかえすサイクルをもつことである。
 ヒトの群れ(集団)現象にとって、帰属や地位など集団を構造化する側面は重要なのであるが、個々人の相互行為がゆるやかに接続される「非構造」の集まりがうみだす相互の「なじみ」や「親しさ」を抜きには成立しないことに注意しておきたい。とくにベンバのように移動性を組み込んだ農耕を主生業とする人々は、生活のさまざまな場面で、ほかの人とともにいようとする姿勢が日常の行動に深く根づいており、その行動の結果として、互いを「ともにいる」ことを選んだ仲間として認知する。逆にそうした行動をとらないことは、そこを離れるつもりだという意思表示にもなる。人々が互いに「ともにいる」ことを選ぶという不断の実践が居住集団としての村の基盤を支えているといえる。
 他方、居住集団が村として成立するには、非構造の集まりとは異質の「構造化する局面」が不可欠である。そこでは親族の系譜などのように互いの関係を参照する位相が用意されている。人々がその構造上に互いを位置づけ、構造上の地位に応じた行動をとることによって、「村」の輪郭があらわれる。さらに、だれもが生まれながらに歴代ベンバ王の祖霊を身体内に宿すといわれる「ヘソの名」の慣行によって、人々が自動的に歴代ベンバ王につながる「祖霊の系譜」に重ね合わせられるために、居住集団としての村は「われらベンバ」という、実際には見えない「はるかな集団」につながり、集団としての永続性を強固にする。それは、祖霊を正しく祀り続けることによって村長が村びとを守る力を保証され、祖霊の庇護によって村長の政治的権力が正当化されるという信仰と深く結びついている。
 母系で妻方居住制を基本とするベンバ社会では、世代交代期に母方オジとオイのあいだで村の政治的権力をめぐって軋轢が表面化しやすい。軋轢が深刻化したあげく、村長である母方オジ世代の男性がオイたちから邪術者として告発されてその権威を否定され、村の分裂にいたることも珍しくない。この時期には、集落近辺に焼畑の適地が少なくなるので、村長のオイ世代の人々は、集落から数km離れた地域に出造り小屋を設けて焼畑を開墾する。出造り小屋は村の領域外にあたる地域にあり、たまたま近隣に焼畑を開墾した他の村の同年代の人々との日常的な非構造の集まりを通して、親しさを育む場でもある。村長である母方オジたちを告発してその関係が修復不可能になると、オイたちは、出造り小屋で親しくなった他村の同世代の人々と他所に行って新しい集落をつくることもしばしばである。しかし、この新しい集落が村として成立するためには、オイたちは、母方オジである先代村長から、祖霊を祀る作法を伝授してもらわなければならない。そのためにオイたちは一度袂を分かった母方オジたちとの和解を試み、一度分裂した村はオイたちの世代が率いる新たな村として再生するのである。
 このように、ベンバの村のサイクルは、人びとが同じ居住集団に「ともにいる」ことを選ぶか否かに対応して、「祖霊の系譜」と「親族の系譜」を参照しながら、互いを他者化したり仲間化したりする行為と、居住地を移動する行為との集合としてあらわれるといえる。
コメンテーター:関根康正(関西学院大学)
コーディネーター:小島孝夫(成城大学)

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